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うなぎのお話(歳時記)

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うなぎのお話(歳時記)



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2013年5月16日 店主 記
鰻と箸のはなし

 鰻はヨーロッパでも中国でも食べられていますが、蒲焼きは日本独特の料理法であり、もっともおいしい食べ方だと思っております。

 白焼きに蒸しを入れ、タレをくぐらせ、味、香り、照りをのせ、いっそう味わいを高めるテクノロジーは、まさに世界に誇る代表的な日本料理であると言えます。

 そんな柔らかく脂の多い鰻をきちっとはさむには、やはり「割り箸」が不可欠なのです。以前は杉のくず材や酒桶などの廃材を使った立派なリサイクル品でしたが、今では塗り箸では、鰻もトロもすべってしまいます。

 私共では、鰻がきちっとはさめるように、又タレで箸の先が汚れないようにと思い、「竹製」の割り箸を使っていただいております。これでいいのか?お客様に喜んでもらえるのか?と考えながら今日も火床の前に立っております。


2013年3月18日 店主 記
鰻屋の講談会のはなし

 去る2月21日、「日本のまんなかで鰻の焼けるまでの間、一杯やりながら講談を聞きませんか」のお誘いに70余名のたくさんのお客様にお越し頂き、まことにありがとうございました。

 忘れかけていた講談も最近NHKのEテレで日本の話芸として放送されていますので、皆様も是非一度ご覧になってはいかがでしょうか。

 当日は、昨年より私共の指示により徹底したエサと水質管理で育て上げた「竹常ブランド」の活鰻による鰻重をメインに、すっぽんの茶碗蒸しなどを添えた御料理を召し上がって頂きました。次回も是非ご期待のほどを。

 そして、宝井駿之介さんによる講談の「情けは人のためならず」の語りべのごとく、本物のおいしい鰻をお客様に召し上がっていただく事こそが私共の使命と思い、今日も火床の前に立っております。


2013年2月26日 店主 記
鰻は日本の文化のはなし

 江戸時代、辻売りや屋台から始まった江戸の蒲焼売りも、19世紀に入ると料亭のような座敷のある鰻屋が徐々に増えてき、1852年(嘉永5年)には「江戸前蒲焼番付」なるものまで発行されています。

 かけそば一杯が16文の時代に、大一匹分の蒲焼が200文(現在に換算すると約4千円)で売られていましたから、庶民にとってはかなりたかいものであった筈です。しかし、鰻の持つ滋養強壮は他に類なく、人々のあこがれの食べ物であり、広く愛されていたと思われます。

 さてそんな鰻屋では、客が蒲焼が焼けるまでの間、一杯やりながら講談や落語などの大衆民芸を聞きながら待っていたと言われています。

 私共ではそんな町民文化の一端を鰻と共に味わっていただきたく、2月21日に「宝井駿之介」による講談会を開催致しました。日本人と鰻、鰻は日本の文化。常に本物のみを追求しなくてはと思い、今日も火床の前に立っております。


2013年1月22日 店主 記
鰻の生活史のはなし

 昨年の秋、産卵場であるマリアナ海溝から海流に乗って日本沿岸までたどりついた仔魚が今、水深200mより浅い海底でシラスウナギになるのを静かに待っています。どの位の量が待機しているのか誰にもわかりません。

 水温や潮の流れ、日没の時刻、また潮高などなど、「闇の大潮」といわれる好適になるまで待っているのです。そして、海と川の温度差が少なくなると、いよいよ河口に寄ってきて、網にかかればそのまま池にいれられ養殖鰻となり、また持ち前の旺盛な生命力を持ってして、川をどこまでも登って行った鰻が天然鰻という事になります。

 鰻にとってどちらが幸せなのでしょうか。これは誰にもわかりません。あなたはどちらだとお思いでしょうか?いづれにせよ私共では、本物の鰻をおいしく召し上がっていただける様、あらゆる事に弛まぬ努力を今年も続けて参ります。


2012年12月24日 店主 記
鰻と奈良漬けのはなし

 今年も新酒の出荷とともに、その芳潤な香りの酒粕も出回ってまいります。実はこの酒粕も鰻と関わり合いがあるのです。と申しますのは、いつ頃からかは定かではありませんが、鰻には欠かせない漬物に奈良漬けがあります。その奈良漬けを作る時に使う酒粕の成分が、鰻の消化を助けると言われてきたからです。

 近年は、この酒粕が肥満や糖尿病などの予防や改善などに役立つと見直されて来ました。やはり酒粕は古くからうなぎの主成分である脂肪の消化を促す働きがあると考えられていたのでしょう。

 私共では、幾度となく漬け変えた三年物の奈良漬けをお出ししております。酒粕に漬けた鰻も決して新しい料理ではありません。いつでも「温故知新」の精神で鰻料理を作り出したいと、今日も火床の前に立っております。


2012年10月27日 店主 記
うなぎの値段のはなし

 江戸時代、蒲焼の値段は二百文から三百文と高価で、庶民が日常的に食べられるものではありませんでした。大工の日当が四百文から六百文だったと文献に記されていますから、いかに高価であったかがおわかりでしょう。

 天ぷら、すし、そば、うなぎと江戸時代の四大食はどれも屋台から始まった大衆食堂でしたが、中でも鰻が一番のご馳走で一番高価だったのです。

 当時はすべて天然鰻でしたが、時を経て昭和になり、養殖鰻が幅をきかす様になり、だいぶ大衆化したものの、結局昨今の鰻事情とあいなり、やはり鰻は高価な物となってしまいました。

 その事が良いか悪いかは別として、私共は先人達が残された日本の伝統食文化をしっかり守り、またこれを伝え「鰻はやはり一番おいしい」と言っていただける様、思いを込めて今日も火床の前に立っております。


2012年8月13日 店主 記
うなぎと山椒のはなし

 うなぎの蒲焼きには山椒の粉が薬味として用いられていますが、この結びつきがいつ頃からなのかは定かではありません。 しかし明治、大正時代のうなぎ屋で使われていたことから、漢方医学全盛期の江戸時代からと思われます。 

 当時山椒の実は蜀椒と呼ばれ、健胃剤や回虫駆除薬として用いられていましたし、殺菌力が強いので、鰻の身に付いている細菌を殺し、腸内で発酵した菌を消し、回虫が寄生しないようにと考えて、鰻に山椒の実を食べ合わせるように考えついたと言われています。

 ちなみに当時は、免疫患者を見舞う時は、山椒の実を2〜3粒かんで行けば病気が移らないと信じられていたそうです。

 私どもでは、今まで朝倉山椒を使っておりましたが、この度本山椒に変えました。常により良い物を求めて今が最上と考えております。


2012年7月23日 店主 記
鰻の温度のはなし

 今月は酷暑の土用を迎えます。確たる根拠はないまでも安永の時代、平賀源内が唱えた「土用丑の日」は、今年は7月27日です。 薬食同源、うなぎを食べて暑い夏を無事乗り切ってください。

 ところで、うなぎが一番おいしいのは何度位かおわかりですか?私は、うなぎの主成分であるタンパク質の性質上、40度以上70度以下と考えます。

 うなぎを焼くという事は、タレを付けて表面に照りをのせることではなく、芯温を何度にするかという事なのです。

 私どもではそのために様々な技法を用い、お客様に最良の状態で召し上がって頂ける様、一同精進を怠りません。 


2012年6月8日 店主 記
鰻の温故知新のはなし

 三年連続のシラス鰻不漁のあおりを受け、かつてない高値の鰻。お客様には大変な迷惑をお掛けしております。しかし最近まで身近に感じていた鰻も、かつては特別な時にしか口に入らなかったのではないでしょうか。

 下諏訪の丸六さんでの修業時代、役得からこわれた鰻をこっそり口にほうばったあの焼き立ての蒲焼きのおいしかった事、今でも私の口と心にしっかりと残っております。

 鰻は高くなりましたが、そのおいしさは何も変わっていません。むしろ時代とともに進化した道具や調味料のおかげで、もっともっとおいしくなっています。いたずらに変えない、しかし今だからこそできる事も沢山あります。日本を代表する伝統文化うなぎを始め、様々な日本文化に今こそ温故知新の精神が必要なのではと考えます。

 いつまでも色あせない本物の鰻の味を求めて、今日も火床の前に立っております。


2010年1月18日 店主 記
蒲焼発祥のはなし

 今や鰻の調理方法には色々とありますが、極みはなんと言っても「蒲焼」ですね。ではなぜ「蒲焼」というのでしょうか。はっきりした由来はわかりませんが、一説には江戸時代の前期、筒切りにした鰻に竹串を刺し「薬食い」として、街道筋の茶屋で売っている姿が蒲の穂に似ていたからだとか。

 しかしながら決して美味しいものではなく、後に今から二百五十年位前、江戸中期に上方の魚の付け焼きからヒントを得て江戸で鰻を開き、串を打ち、タレを付けて焼く事が始まってから一気に人気が上がり、蒲焼きの名が広まったとか。もう一つには、その焼き色が樺の木に似ているからだとか。あなたはどちらを信じますか。

 鰻を召し上がる時、ちょっと思い出して下さい。


2009年12月2日 店主 記
鰻の寿命と生命力のはなし

 大きくなった鰻の歳を知るには、他の魚と同じように鱗の年輪を観ます。淡水域から遠くマリアナ海域まで長旅をし、産卵を終えた親鰻は死ぬと考えられています。

 それは鰻の生殖腺はどの部分もほぼ同時に成熟し、すべての卵を放出するからです。この産卵習性は鮭や鮎と同じですから、自然の中の鰻の寿命はこれで終わりますが、養殖鰻のように成熟しても海に下れず、生殖行為が抑えられた鰻は長く生きられます。ところが天然の鰻は、池に入れても容易には餌を食べず、「武士は食わねど高楊枝」を決め込み、文献によれば絶食をしたまま1年10ヶ月も生き延びた記録が残されています。いったい、この生命力は鰻のどこに隠されているのか不思議ですね。

 初冬を迎えこんなにも強い生命力にぜひともあやかっていただき、鰻を食べてインフルエンザなどにかかりませんように、お祈り申し上げます。


2009年11月3日 店主 記
鰻の旬と天然鰻のはなし

 夏の間、淡水域で育ち成熟した親鰻が、いよいよ産卵のため海に向かって下り始めます。これがいわゆる下り鰻と言い、鰻が最もおいしい時期(すなわち旬)とされています。それは、産卵所であるマリアナ海域までの長旅にそなえ、あらゆる栄養をバランスよく蓄えているからだと考えます。
 
 そんなまるまると太った大鰻が私共には、四国の四万十川、また青森県の小河原湖より週2〜3回の割で入荷しております。養殖鰻とはまったく違った鰻本来の味を、是非この時期にこそ召し上がってみてください。

 また、私共ではサイズも質も捕られる場所によって異なる天然鰻を、それぞれの鰻にあった技法で、おいしく召し上がっていただけるよう、様々な工夫をこらしております。是非お試しを。

 しかし、産卵のため下り親鰻を捕獲する事は、資源保護の観点から察しますと、複雑な思いもありますが、産地ではそれぞれ保護活動もしているようです。だからこそ、貴重な天の恵みを心を込めて味わっていただきたいのです。自然の節理と生態系に感謝感謝。


2009年8月10日 店主 記
焼きのはなし 〜その2〜

 前回は、備長炭の燃焼により発生する遠赤外線の電磁波が、鰻の持つ水分などの電極を持つ分子に運動エネルギーを与え、その分子の加速により他の分子との衝突で熱を発生させ、中はふんわり、外はパリッとした理想の蒲焼きが出来る事を話しましたが、それはあくまでも科学の力によりものなのです。おいしい蒲焼きを焼くためには、それらを知り、火床を巧みにあやつる焼き手の力量にかかって来ます。

 そして、18才で始まった下諏訪の丸六さんでの修業時代に食べた、あの涙が出るほどおいしかった思い出の味を忘れることなく、毎日火床に向かう事も大切な要素だと考えます。

 今日も又理想に向かって、いつかこの味が2代目の思い出の味になれる様に。 −感謝−


2009年6月19日 店主 記
串打ちのはなし

 うなぎ道で刺し八年と言われ続けられるとおり、ふっくらと香ばしく風味豊かな蒲焼きに仕上げるために、刺しはかなり重要な仕事です。

 下諏訪の村山さんに特別作っていただいた竹串と同様で曲がらず真っ直ぐな串を使い、お客様お一人お一人に平ですみずみまできちんとした照りのある柔らかい蒲焼きを召し上がっていただきたい。そんな思いと願いを一本の串に込め、単に刺すのではなく、毎日串を打っております。


2009年5月13日 店主 記
焼きのはなし

 美しく裂かれた鰻にバランスよく串を打ち、いよいよ白焼きに入ります。火の強弱が自由にできる火床を巧みに使い、皮目から焼き始めます。表面をパリッと、中はふんわり柔らかく骨っぽくない蒲焼きに仕上げるためには、やはり火元は炭でなくてはなりません。

 炭が燃えて発生する遠赤外線は、その電磁波により鰻の持つ水分に運動エネルギーを与え、鰻の芯に熱を発生させます。それによって、決して包丁では取ることのできない細かい骨まで焼き切れるのです。

 「焼きは一生」理想の蒲焼きを造るために今日も挑戦が続きます。

 ちなみに私どもでは、丸二河西さんに届けていただいている高知県の仙頭さんが焼いた備長炭しか使用しません。


2009年4月10日 店主 記
裂きのはなし
 魚は卸す 鰻は裂くの意

 美味しい鰻を造るためにはどの工程においても一切の妥協は致しません。一見同じように見える鰻も実は一匹ずつ個性を持っています。

 素性の違う鰻を理想の蒲焼きに仕上げるには、一刀の元に切口鮮やかな美しい裂きが必要です。そのためには丹念に磨ぎ込んだ包丁と創業以来宮阪工務店さんに造っていただいている真平な俎板が不可欠です。

 下諏訪町からこの地に移っても三十年変わることなく日本一美味しい蒲焼を召し上がっていただきたいという思いを胸に鰻を裂き続けております。


2009年3月3日 店主 記
火床のはなし

 今年は創業三十周年。諏訪に移り、より美味しい蒲焼きを造るため、下諏訪時代より懸案であった火床をガスから炭に変えました。

 私共で使っている白炭の最高品位といわれている土佐備長炭はガスとは違い、熾っても水蒸気を発生することなく、強い火力と遠赤効果で芯までしっかり火が通り、こぼれ落ちたタレにより燻煙効果もあります。

 「裂き三年 刺し八年 焼き一生」

 私共の目指すふわっとした風味豊かな蒲焼に一歩でも近づけるよう、今日もまたその火床で鰻を焼いております。


2009年2月16日 店主 記
タレのはなし

 前回お話しした厳選された良質の鰻を美味しい蒲焼に仕上げるためには、いくつもの要素が必要です。

 「まずはタレ」

 醤油は地元の昔ながらの製法で造られ、私共の意見をもとに独自にブレンドしていただいた本醸造醤油。味醂は愛知県産三河の旧式製造による厳選本醸造味醂、砂糖はこだわりの糖質。

 今の時代に手にすることのできる最高の材料を駆使して特殊な温度管理の下に、一定期間成熟させ完成したタレしか使用しません。

 美味しい蒲焼を造り続けるためには、時代とともに変わりゆくお客様の味覚にそったタレ造りをする事が必要だと考えます。


2008年12月5日 店主 記
舞阪のはなし

 私どもの鰻は、創業以来30年変わらず静岡県浜松市西区馬郡町・舞阪の竹常さんより、数ある養殖鰻の中から背が青褐色、腹が白い「青」と呼ばれる最上級の鰻を一匹ずつ厳選して送っていただいております。

 舞阪は日本屈指の良質養殖鰻の産地で同時に日本一と呼ばれる良質のスッポンの産地でもあります。当店の鰻会席にもしばしば登場致します。

 養殖業を営んでいる地元のみな様や産地問屋竹常さんの御努力を召し上がっていただくお客様にお伝えする事が私どもの仕事だと考えてます。


2008年11月19日 店主 記
 今年もまた創業以来三十年近く続けている鰻の供養祭を無事終了致しました。

 鰻屋が鰻屋の使命として、美味しい鰻を安心して召し上がっていただきたい・・・。唯々、その一念で日々精進にております。

 産卵のため、四万十川から遠くマリアナ諸島の深海を目指す長旅のために、たっぷりと栄養を蓄えた下り鰻をご用意しております。

 今こそ鰻の旬です。魚沼産こしひかりの新米と共に、旬をお召し上がりください。


2008年5月16日 店主 記
 桜の季節も終わり、日中は初夏の陽気すら感じられる今日この頃ですね。
 さて、私もうなぎ職人を志してから早40年。その間、世の中の情勢は目まぐるしく変わって参りました。

 しかし、日々の仕事の中で常々感じていることは、いつの時代でもお客様の笑顔を見ることは不変の喜びであり、これからも変わることはないと思っております。

 それには、常に原点に戻り、決して初心を忘れてはいけないという気持ちなくしては、お客様の笑顔に出会うことも出来ません。

 どんなに忙しい時でも、心に余裕がない時でも、逆境に立たされた時であっても、そんな時にこそ原点に戻り、お客様にご満足いただける料理を提供するのが私の永遠のテーマなのです。

 「やぁ〜、美味しかったよ。また来るね!」このひとことだけで十分。私は、お客様のこのお言葉が常に原点に戻ることの重要性を代弁してくれているのだと感じております。

 裂き、串打ち、焼き・・・ どれひとつとっても手を抜くことは許されません。まだまだ修行の身。常に原点に戻りつつ、これからも日々精進を続けて参ります。

 今日もまた、お客様の笑顔を見たくて調理場に立っております。


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