旅うなぎの話(その2)
「旅うなぎ」と呼ばれ、東京湾近郊で捕れた江戸前の天然鰻より格下と言われていた諏訪湖産の天然鰻。では、この鰻をトラックも酸素もない江戸時代にどんな方法で生きたまま運んだのでしょうか?調べてみましたが、確かなことはわかりませんでした。
が、下諏訪博物館、旧和田村の方々にお聞きしましたところ、当時江戸幕府発行の通行手形を持った「中馬(ちゅうま)」便なる早馬があり、献上品などを中心にそれらを運んだのでは?とご教示頂きました。
甲州街道、中山道ともに江戸日本橋より数えて五十三里目に諏訪湖はあります。人の足だと約4~5日目、中馬だとその半分以下で江戸まで行ったそうです。酒や醤油の醸造に使った樽を桶に変え、岸辺の「よし」などでふたをし、馬の背に乗せ、各所で水を変えながら運んだのでは?と自分は推測します。いずれにせよ、当時を知る手段は見つかりません。どなたか知っていたら教えてください。
今や地球的レベルで生態系も変わり、各地の「旅うなぎ」が貴重な存在になって来ました。今諏訪湖には1匹も天然鰻はおりませんが、この貴重な天然鰻を皆様に差し上げる事こそ私共の仕事と心得、今日も火床の前に立っております。