諏訪の鰻のはなし
今から約300年前、栄華を極めた元禄文化、時の将軍はかの「生類憐みの令」で有名な五大将軍徳川綱吉、その時代に地方から来る鰻は「旅鰻」と言われ江戸前に比べれば二流品とされていましたが、諏訪の鰻だけは別格、江戸前にも勝る鰻だと珍重されていました。きっと上質な魚がたくさんいたのでしょうね。
和田峠の黒曜石をはじめ、下諏訪町の殿村遺跡、茅野の尖石遺跡、富士見の井戸尻遺跡など、この地には多くの縄文人の足跡が残されております。後ろの山々、前の川や湖、豊富な食料に恵まれたこの地で秩序ある生活をしていたのでしょう。
風光明媚で天変地異も少ない諏訪地方はきっと暮らしやすかったのではと思うのと同時に、あの良質のうなぎや魚はどこに行ったのでしょう。
来年のNHK朝ドラには諏訪子近隣が映されるとか、新しい諏訪湖の姿と鰻文化の発展に大いに期待しながら今日も火床の前に立っております。

